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GOOD SWELL JOURNAL/また買ってしまいました/#10

まずは、お茶を一杯

だらしないはなしですが、年々お茶がおいしくてしょうがない状態になってしまった。なにをやるにもまずはお茶。なにもやらないにしても、まずはお茶を一杯。どうやらお茶がなくてはなにもできない身体になってしまったようだ。
ああ、ここでいうお茶は日本茶のことです。飲み続けてわかったことは、これはお茶に限らず、値段が高いほうがおいしいということでした。それで、手の届く範囲での高いものを買っていたのですが、高いほど一煎目にどばっとでるアミノ酸。この味を世間では旨みと言っています。舌と喉にへばりつくその旨みがだんだんに嫌になってきたのです。しかし、この旨みがないとお茶はお茶でなくなってしまう。実に悩ましい問題をかかえてしまった。
そのことを飲んでは考え、考えては飲んでいたら、いい解決法がありました。勿体ないようですが一煎目を捨ててしまうのです。もしくは、同じテーブルを囲んでいるひとがいれば、そのひとについでしまう。そう、プチ・アミノ酸退治。そうすると、ちゃんと私好みの渋みに重きをおいたお茶が出来あがるのです。もちろんすべてのアミノ酸が無くなってしまうわけではないので、旨みも主張しない程度にあります。
10年ほど前でしたか、たまたま入った都内某所のお茶屋さんでお茶談義に花が咲きました。そこでわかったことは、大分生まれの私がそこで当たり前に飲んでいたのは釜炒り茶といわれるものだったのでした。それが普通でそれしかなかったため、誰もがわざわざ釜炒り茶とは言わずに単にお茶としか言わなかったのですね。釜炒り茶とは、その字の如く生葉を釜で炒るのです。ちなみに緑茶の場合、蒸熱(蒸し)が99パーセント強で釜炒りは1パーセント弱だそうです。
その釜炒り茶がこのお店にありました。宮崎県の何某さんが作ったものとのこと。まだ飲んでもいないのに、ひどく懐かしいひとに出会った気持ちになりました。小皿に少し取ってもらい、ながめれば、釜炒りも揉捻も手でおこなっているような風合いです。そうそう、揉捻の目的は3つあります。①茶葉の細胞を破壊し、お茶の成分を出しやすくする。②揉めば、茶葉は小さくなり収納と運搬に便利。③揉む力加減と時間の調整で旨みと風味などのバランスの強弱をつける。
それから、よく深蒸しという言葉を耳にしますが、これは蒸熱の度合いです。浅蒸し→中蒸し(普通蒸し)→深蒸し→特(上)蒸し→極蒸しとあり、それぞれに旨み、渋み、風味、水色が違ってきます。そしてそそぐお湯の温度でも、それぞれが違ってくるのですから、こんなことまで頭に入れてしまうと、お茶一杯淹れるにしても調理の域に達してきます。
すみません。レクチャーのようなものになってしまいました。軌道修正します。何某さんの釜炒り茶でした。が、値段が高い。しかし、もう買うしかありません。蒸し茶ほどにはないが、旨みが気になります。やはり一煎目を捨ると、実にいい塩梅に旨みが薄れ、渋味に偏った私好みが舌から喉へと伝っていきます。鼻孔をくすぐる風味も蒸しよりだんぜん釜炒りです。でも、この値段では私の日常がついていけそうにない。何某さんには申し訳ないが、そこまで上物ではないものに望みを託し探しだすことにしました。
以来、私の釜炒り茶人生が再スタートすることになってしまった。都内某デパートにある高級お茶屋さんで見つけた静岡産釜炒り茶も試したが、やはりアミノ酸がネックでした。残念ながら予想通りの結果。いろんなお茶屋さんに入ってみました。釜炒り、それなんですか?そんなお店もあったのです。都内で釜炒り茶を扱っているところはは皆無に近いのでした。先の店主が言った「釜炒りは水色が黄色いため普及しなかったのでしょうね」が頭に浮かぶ。しかし、感傷にひたっている場合ではない。やがて、一煎目を捨てる人生は、私の日常を徐々に圧迫しはじめてきました。
私が中学生ぐらいまで実家では5月のおわりごろに、この釜炒りを家族で作っていて、こどもの私も筵に座り炒りたての茶葉を揉んでいたのでした。田舎に帰るたびに、この近辺で釜炒りを作っているひとはいないかと、訪ね歩いてみたが、もう誰もやっていないようです。茶葉を摘んでいるひとに訊いても、むかしは自分のところでやっていたが、面倒でJAに生葉のまま出荷するということでした。 ならば、そのJAとやらが経営している店に行ってみましょう。農家のひとたちが出荷した野菜、お米、椎茸などの乾物、地元自慢のお菓子などに混じって釜炒り茶もあり、JA製造のものと3人の生産者のものを手に入れました。値段はみな100グラム500~600円。この値段だと釜炒りも揉捻も機械なのでしょう。店員さんの話によると、ここでは扱ってないが、特上や極上というのもあるとのことでした。でも、そのあたりはもういいのです。
味ですか?一煎目からアミノ酸を蹴散らし渋みがたつものでした。つまり、特上煎茶の特質であるとろっとした旨みの対極の味で、これが私の求めていたものです。こうなると、やや黄色みを帯びた水色もなんだか陽のひかりを宿しているようで、実にいい気分でお茶が飲めます。
ここはひとつ、再スタートを機に、なにか記念になるものが欲しくなり、急須や湯飲みはあれやこれやと持っているのですが、そんな流れのくだらない語呂合わせでこの釜型の鉄瓶を買ってしまったのでした。こんなお茶の道行きを授けてくれた店主は私の恩師です。お茶のことなら、なんでもござれの彼を私はこころの中でチャムリエと呼んでいます。(hy)

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