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GOOD SWELL JOURNAL/また買ってしまいました/#11

オロカな買い物

私の大好きな女流浪曲師は4ヶ月に一度の割合で、浅草の木馬亭という浪曲の定席小屋で新作のネタおろしをやっている。ほかの口演にも可能なかぎり駆けつけるのだが、このネタおろしには、かなりの犠牲をはらってでも行くことにしている。ネタおろしには繭の中のサナギが孵化する瞬間に近いものがある。そうして産声をあげたネタが、その後どう育っていくかを寄り添って進行形で体験することの幸せ。
先の八月ネタおろしは川口松太郎の『人情馬鹿物語』からの一篇「彼と小猿七之助」だった。あらすじを簡単に説明すると、時は大正時代、寄席の看板娘お道は講釈師、燕林の芸に惚れこみ人としては不足だらけだが、自分がここで燕林を支えなければ、講釈をいう江戸時代から連綿と続く語りの芸の行く末を危惧し結婚を決意。しかし、両親の反対にあい、その訳を問いただせば、ときの新興勢力である活動(映画)に客足を奪われて寄席は借金状態。その借金を請負師の国清に助けられ、その見返りにお道が国清の妾になることが決まっていた。お道はそんな話はとてものめない。が、両親も大事である。彼女は燕林の師匠筋にあたる円玉の助言で身をほとぼりが冷めるまで隠すが事態は好転するどころか、むしろ悪くなるばかり。
お道は覚悟を決め、ひとり国清の家へのりこみ、「あたしだって生娘じゃありません。約束をした男があって夫婦になるつもりでしたが、お父っさんの借金から御迷惑をかけた上は、体で返す他はない」「年を切って世話をいてくれませんか。親分にもお内儀さんがあり、あたしにも好いた男がいるんですから、一年間で暇を下さい」と。国清はその気風のよさにうなづく他はなかった。
そしてお道は燕林のところへ。ことの次第に愚図る彼に一年辛抱をしろ、あたしが帰ってきて万が一その芸が落ちていたら愛想をつかすだけ。勘違いしないでおくれ、あたしはあんたに惚れたんじゃなく、あんたの芸に惚れたんだから。
お道が国清の家に入ると、両親の借金はかれの本意でなく泣きつかれ詮方なく。彼は子分衆に信望も熱く、ときに人情がらみで損もしている。そんな国清をそばでみていると、彼女はつい燕林をくらべてしまい気持ちは揺らぐが、年が明け燕林もとへ。
帰ってみれば、燕林のみじめな暮らしが悲しく、愛情のかけらもわかなかった。が、燕林の芸の成長ぶりを目の当たりにすると、愚かで不足ばかりの燕林が日本一の男に見えてきた。
うーん。部外者の私もお道に惚れてしまいした。これはちゃんと原作を読まなければ。翌日、仕事場近くの信用のおける古本屋三店と駅三つ先の一店に行ったが収穫はなし。しかたがありません。そんなことはあまりしたくはないが、ネットで買うしかない。ありました。注文するとすぐに文庫本が届いた。
この一篇にかぎらず、この小説に集められたものは、そのひとのためなら自己犠牲などは厭わないひとたちの物語。それは確かに<愚か>ともいえるが、しかし、この物語にはその一言でいいあらわせないものに溢れていた。<愚か>ではあるが、それは美しい心でもあるのですね。<愚か>という美しい心を市井のひとたちがまだ持っていた時の話だった。うーん。はじめて知った世界だった。そんなひとたちのことを川口松太郎は<人情馬鹿>とよんだのですね。
ネット情報によると、単行本の『続 人情馬鹿物語』もあるとのこと。注文。すぐに届いた。一気に読み終え、文庫本と単行本を並べると実に美しくない。これではいつの日にか、さて、どちらから先の読もうかなどとひとり悦にいれない。そんなつまらない思いで一冊目を単行本へ。すぐに届いた。しかし、「続」には帯があり、落語家立川談春のコメントが載っていたが、これには帯はなかった。自分でもほとほと呆れるが、こうなれば、もう一冊。すぐに届いた。これにも帯はなかった。でも、帯があったであろう形跡はありました。
後日気づいたがネットの場合、その本なら本の痛み程度や帯アリナシなどの情報もちゃんとあった。私は日頃ネットに不信感をもっている。そのあたりが裏目に出てしまった。私の行為はあまりにも川口松太郎の<人情馬鹿>とは遠く離れた、ただただ<愚か>なものでした。すみませんでした。ペコリ。(hy)

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